PHASE-23「迷走




 ほのかは固いベッドの上でうずくまっていた。
 少し頭痛がする、脳波を測定するための機材を長時間付けていたからだろうか。
 施設や《バサラ》に乗っていた頃はほぼ一日おきにされていたことだが、二ヶ月ぶりとなるとやはり疲れる。
 これからまた、MSの部品の一部のように扱われるのだ。
 失望はしたが、一種の安心感もあった。
 ここに「あの男」がいないだけ《バサラ》にいた頃よりずっとましだったし、もうイザークたちに迷惑をかけることもない。 
 あれからどれだけ時間が経ったのだろう。
 懐かしい人に会った気がする。
 測定の後はいつもこうだ、記憶が混濁してしまう。
 
 ―――ほのかっ。

 自分を呼んだのは誰だった?
 イザーク?
 いいや、違う。
 彼はモートンの手によって囚われの身だ。
 おそらくもう二度と会うことはできない。
 それでは誰の声?
 あんなに必死になって、感情を込めて自分を呼んでくれる人は《ヒュペリオン》の面々の他にいただろうか。

 ―――ほのか!

 「!」
 空気の振動を感じ取り、ほのかは反射的に顔を上げた。
 相変わらず無音だったが、視界の端の人影にすぐに気付く。
 幅の広い硝子窓の向こうに、赤い軍服をまとった茶髪の少年が立っていた。
 「…あ」
 思わず声が漏れる。
 彼のことを知っている。
 間違いない、会ったことがある。
 誰だったけ?
 どこで会った?
 必死に混沌としている記憶から少年のことを引き出そうとする。
 一方の少年は、窓の前でほのかに何かを訴えようとしているようだった。
 口をぱくぱくさせ、身振り手振りで必死にジェスチャーしている。
 ほのかは寝台から降りると、窓へと歩み寄り、少年と硝子越しに向かい合った。
 しかしこれだけ近くにいても少年の声はここには全く届かない。
 窓も壁も完全防音処置されているのだ。
 ほのかは耳を指差して首を振り、聞こえない、と訴えてみた。
 すると忙しなかった少年の動きがぴたりと止まる。
 がくりとうなだれているところを見ると、こちらの訴えはストレートに通じたようだ。
 その様子にほのかは少し微笑ましくなる。
 感情を体いっぱいで表しているような、とても実直そうな少年だと思った。
 と、少年が顔を上げ、その大きな瞳とかち合った。
 はっとする。
 青みを帯びた緑色…とても不思議で、綺麗な色。
 次の瞬間、ほのかの脳裏に《ヒュペリオン》でのある記憶が甦った。
 「タクト?」
 そうだ、タクトだ。
 ほんの僅かの間だったが、《ヒュペリオン》で邂逅し、《ゴンドワナ》で別れたままのあの少年だった。
 「タクト!タクト!!」
 ほのかは何だか胸がいっぱいになり、タクトの名前を繰り返し叫んだ。
 また一人きりの闇に放り込まれたと思ったのに、混濁した記憶の中の「いい人」に再会できるとは。
 それはほのかにとっては暗い胸の中に僅かに射した光のようで、純粋に嬉しかった。
 「タクト?」
 しかし喜ぶほのかに対し、タクトの表情は固かった。
 やや頬が紅潮していて、まだ口をぱくぱくさせている。
 どうやら何としてもこちらに伝えたいことがあるようだ。
 しかし唇の動きだけで言葉を読み取るという器用なことはできない。
 ほのかが困り果てていると、タクトは急に視線を遠くへやったかと思うと、ごそごそとポケットをまさぐり始めた。
 何か言い方法でも思いついたのだろう、本当に分かり易い。
 ほのかが見守る中、タクトはペンを取り出した。
 音で伝わらないのなら、文字を書いて視覚で伝えればいい。
 しかしペンはあっても紙の類は持ち合わせていなかったのか、彼の視線が再び彷徨う。

 ―――今度はどうするんだろう。

 なんだかほのかはタクトを見ているだけで楽しくなってきた。
 知らず知らずのうちに桃色の唇には笑みが刻まれている。
 言葉も届かない、壁を隔てた場所にいるというのにおかしなことだ。
 いいや、だからこそかもしれない。
 やがて、タクトはメモ類を探すのを諦め、軍服の袖を捲り上げた。
 ああなるほど、自分の腕に書くのか。
 さて、どんなことを教えてくれるのだろうとほのかは期待を込めた。
 だが。
 「…!!」
 窓の向こうから影が射す。
 その正体を認めたほのかは喉の奥でひっ、と小さな悲鳴を上げた。
 おそらくはタクトもそうだったろう…顔が完全に強張り、血の気が明らかに引いている。
 黒髪の双子が、いつの間にかタクトの後ろに立っていた。



 「なーにを」
 「してるのかなぁ?」
 「!!」
 振り向いた途端に、サスケとスズネに両腕をがしっと掴まれる。
 そのまま窓が見えなくなる位置までずるずると引きずられた。
 「ちょ、ちょっと、やめろよ!」
 振り放そうともがいた反動で右手からペンが落ちる。
 からん、からん、という硬質な音に、双子の目つきはさらに鋭くなった。
 「あれ、何でペンなんか持ってんの?」
 「ラブレターでも書こうとした?」
 「それとも」
 「何かを彼女に教えようとしたの?」
 「たとえば」
 「イザーク・ジュールが隊と一緒に上手く逃げ切っちゃいました、とか」
 「…ぅ」
 違う、と否定しようとしてタクトはそれができなかった。
 自分が嘘が下手な人間だということは良く分かっていたし、サスケとスズネが別に自分の答えを必要としていないことをその表情から察したからだ。
 「困るんだよねー、そういう勝手なことされちゃうと」
 「一応イザーク・ジュールの身柄を保証するって言う約束で協力させてんだから」
 やはりそうか!
 「お前ら、卑怯だぞ!!」 
 あんなに小さくてか弱そうな女の子が、進んでMSのパイロットになろうとするはずがない。
 タクトは先刻のジュール隊の脱走騒ぎがどうしても引っかかり、ほのかに彼らの無事とどういった経緯で自分と同じ境遇になってしまったのか尋ねるつもりで来たのだった。
 「しょうがないさ、《コンヴィクション》は」
 「あの子専用なんだから」
 「…っ」
 タクトは負けじと言い返そうとするも、ぞっとするような二つの笑みをぐっと近づけられて言葉を飲み込む。
 それくらいダンヒル兄妹の冷たい微笑には迫力があった。
 「それに、教えない方があの子のためだ」
 「貴方にも言えることだけどね」
 「…どういう」
 「忘れたのか?」
 「あんたたちは『ナチュラル』なのよ?」
 「戦えなくなったら」
 「用済みよ」
 「なあ、あんたもそう思うだろ?」
 「『ナチュラル』嫌いのリーゼ君」

 「え?」 
 思わぬ名前を耳にして、タクトは瞳を瞬いた。
 すると双子は示し合わせたかのようにタクトから離れ、廊下の両脇に立つ。
 視線の先に、ここにいるはずのない人物が立っていた。
 リーゼ・エッシェンバッハ…《ヒュペリオン》のクルーで、MSパイロット。
 先程本国から脱出したはずの、あの艦の。
 かつてナチュラルのくせにとタクトを蔑んでいた少年の顔に、かつての勝気さはどこにもなかった。
 青白い顔をして、幽霊のように立ち尽くしている。
 
 タクトは驚きのあまり動くことができず、しばしの間無言のままリーゼと向かい合っていた。




 C.E.79 4月12日 1820時。 フロンティア・ノエルに向けて航行中の《ヒュペリオン》。

 椅子に座ったままうとうとしていたらしい。
 シーツが擦れる僅かな音に、ルナマリアははっと意識を持ち上げた。
 慌てて視線を目の前のベッドの人物へと向ける。
 彼は瞼を閉じたまましばらく身動ぎしていたが、やがてゆっくりと蒼い瞳を開いた。
 「ジュール隊長」
 静かに、確かめるように彼の名前を呼んでみた。
 何度かの瞬きの後、イザークの瞳がルナマリアに向けられる。
 「ルナマリア、か」
 「はい」
 ルナマリアはとりあえず嘆息した。
 昨日無理を押してブリッジに上がったイザークは、リュカの戦死を知ると同時に意識を失ってしまったという。
 そのまま丸一日昏々と眠り続けていたのだ。 
 「あれから、どうなった?」
 「とりあえず、フロンティア・ノエルの補給ポイントに向かっています。
 クルーは突然のことに驚いてますが、それはユーリが副長と一緒に説明を…とりあえず混乱はありません」
 「リュカは」
 「…」
 「やはり、そうか」
 「…すみません」
 「お前じゃない。俺のせいだ」
 「隊長っ」

 リュカの死は誰にとっても衝撃だった。
 隊長のイザークと同年代で、艦長の息子だという立場にもかかわらず、気さくで始終笑みを絶やさない、人好きのするリュカの存在は《ヒュペリオン》にとっては大きかった。
 あんなところで死んでいい青年ではなかったのだ。
 と、そこでようやくイザークはリュカの実父であるアランのことを失念していたことに気が付いた。
 「メイデス艦長は、どうしている?」
 「休まずに軍務を続けられています」
 「…」
 「隊長は、体が治るまでゆっくりしてくださいと」
 「…」
 イザークはそれ以上何も言わなかった。
 ルナマリアも余計なことは口にしなかった。
 何人もの親しい者の死に直面した彼らには分かっているのだ、
 アランが忙しさを利用して息子の死から一時的に目を背けようとしていることが。
 
 そしてそれは人としての「強さ」でもあり、乗り越えなければならない「弱さ」であることも。
 
 
 

 C.E.79 4月13日 0230時。 ジュール隊《ヒュペリオン》


 少しよろしいですか、と言って医務室に現れたアラン・メイデスに、イザークは少し面食らった。
 基本的に隊の軍務は24時間のローテーションだが、負傷して療養中のイザークを深夜に訪ねるなど、生真面目なアランの性格からはあまり考えられないことだ。
 しかし一人息子を目の前で失い、そんなことも考えていられないのかもしれないと思い直す。
 イザークはベッドから上半身を起こしてアランと向かい合った。
 「艦の様子はどうだ?」
 「副長の話だと、クルーはとりあえず納得したそうです。クーデターに疑問を持つものが多かったですし」
 「そう、だな」
 「シンが少し錯乱したようです」
 「?」
 「ルナマリアがすぐに部屋に連れて行ったので大丈夫だと言っていましたが」
 アランが言葉を選んでいるのを察し、イザークはすぐに状況を理解した。
 シンは普段はクールに見えるが、前大戦のトラウマから精神的にはかなり危うい綱渡りをしている。
 当人は距離を置いているつもりでも、ジュール隊でのリュカの存在感はシンにとっては大きかっただろう。
 その死を目の当たりにして、不安定になってもおかしくはない。
 パイロットとしての能力があまりにも優秀でなために戦場に縛り付けられている、本来ここにいるべきではない人間なのだ。
 「それから、ミンシアは閉じこもっています」
 「無理もないな」
 「食事も取っていないようで…エディが何とか連れ出そうとしているらしいですが」
 「もう少し放っておいてやれ。折を見て俺が会いに行く」
 「分かりました」

 事務的なやり取りをしながら、イザークは叫びたいのを必死に堪えていた。
 アランが自分を責めないのがつらかった。
 彼のことだ…本当にイザークのせいだとは思っていないのだろう。
 それでも恨み言の一つでも言われた方がずっとましだった…それが余計アランを追い詰めることだと分かっていても。
 「隊長、これを見ていただけますか?」
 「ん?」
 突然紙切れのようなものを手渡され、イザークは眉をひそめる。
 電文をプリントアウトしたもののようだ。
 「なんだ、これは?」
 「つい10分ほど前に送られてきました」
 「送られてきた?」
 どうやらアランの突然の訪問の理由はこれだったらしい。
 「どこからだ?」
 「…《ゴンドワナ》です」




 C.E.79 4月14日 0630時。 ヤマト隊旗艦《セラフィム》。


 休憩室はいつになく騒がしかった。
 先日艦長のダコスタをはじめ、ブリッジクルーがほぼ全員入れ替わったこともあるだろうが、それ以上に昨日プラントを駆け巡ったニュースが兵士たちを混乱させていた。
 それは、「ヤン・ディーゼル氏にクライン派と癒着の疑い。逮捕状が出される」という内容だった。
 兵士たちからは「マジかよー」「どうなってんだよ、四将は」という声が上がっている。
 無理もない、三日前にはジュール隊が脱走するという騒ぎがあったばかりなのだ。
 ラクス、イザークに続いてディーゼルも失脚が確定したような状況に、プラントの住人が戸惑うのは当然のことだ。
 しかも、である。
 《セラフィム》には《ジュピター》と共にL4宙域へと出航せよ、という本国命令が下されたばかりだった。
 L4はディーゼル隊が管轄している宙域である。 
 状況次第ではヤマト隊とモートン隊はディーゼル隊を攻撃することになるのではないか。
 クルーたちはそれを半分興味、半分不安で話し合っているのだ。

 タクトはそんな彼らを冷めた表情で眺めていた。
 もうタクトには分かっていた。
 ディーゼルは無実、これらは全て作り事だ。
 イザークのこともラクスのことも。
 おそらくは、全てを仕組んだのはモートンと臨時議長となったバルフォアに間違いないだろう。
 ディーゼルにそれを知らせたかったが、もし盗聴でもされていたら逆に彼の立場を悪くするかもしれない。
 ほのかにイザークの無事を知らせることも叶わず、タクトは己の無力さに悶々としていた。
 このままモートンの言われるままにMSのパーツになるしかないのだろうか。
 二ヶ月。
 プラントに飛び込んで、たった二ヶ月だ。
 だというのにすごく遠くに来てしまったような気がする。
 信じていた正義がどんどん曖昧なものになっていき、足元がじりじりと崩れていく感覚。
 それが何とも気味が悪かった。

 ふと、こちらに向けられていた視線に気付いて振り向く。
 ヤマト隊の新クルーとなったリーゼがいた。
 「…」
 視線がかち合った途端、タクトは自分の表情が強張っていくのを感じた。
 無意識に睨みつけてしまっていたのか、すぐにリーゼは踵を返して休憩室を去ってしまう。
 追うことはしなかったものの、タクトは少し考え込んだ。
 リーゼがジュール隊を離反したのは間違いない…そしてラクス失脚に始まる騒動がモートンたちの企てであることも知っている。
 では、ジュール隊は?
 警備隊の制止を振り切り、当てもない宇宙に逃亡するなんて普通は神経を疑うだろう。
 しかしタクトはジュール隊の人たちを良く知っている。
 理由もなくそんな無謀なことをするとはどうしても思えない。
 となると考えられることは一つ、黒幕の正体とその目的を前もって知っていたということだ。
 プラントに留まったら最後、弁明の余地なく消されることが分かっていた。
 それがどうして分かったのか?

 「内通者」
 ぽつりと。
 そう小さく呟いたと同時に、背後に気配を感じた。
 「!」
 またあの双子か!?
 と、慌てて振り向くが。
 「よう」
 「ヴィ、ヴィーノ…」
 立っていたのはタクトのオーバーリアクションに目を瞬かせている数日振りの顔。
 ヴィーノ・デュプレだった。
 
 
 
 ほぼ同時刻。
 フロンティア・ノエルへと向かっていた《ヒュペリオン》は、その進路を別方向へと変えていた。
 デブリ帯の近くを選びながら大きく迂回し、本国へ戻るような進路をとっている。
 かと言って本国へ投降しようというわけではもちろんない。
 彼らが向かっているのは移動要塞《ゴンドワナ》だった。
 ここには先日の『白夜』による襲撃を詳しく調査するために来訪し、それによってクーデターの難を逃れた元最高評議会委員のコウイチ・アボットがいた。
 その彼が《ヒュペリオン》が脱走したという報を聞き、《ゴンドワナ》に非難するよう呼びかけたのだ。
 フロンティア・ノエルの補給ポイントに向かうだろうことを予測し、本国に悟られないよう電信を続けていたという。
 意外にも、モートンはこの《ゴンドワナ》の存在を放置していた。
 完璧主義者の彼らしからぬミスに思えるが、そもそも《ゴンドワナ》は四将の管轄外で、ある意味独立した部隊と言える。
 それはかつての《ボアズ》や《ヤキン・ドゥーエ》、《メサイア》のような要塞なき今、いざ戦闘…敵として想定されるのは大抵地球連合…となった時、どの隊の艦も柔軟に受け入れ臨機応変に対応するためだ。
 《ゴンドワナ》指令塔は本国命令によって動くため、最高評議会を抑えてしまったバルフォア政権にとってはそれほど重要視する存在ではないと判断されたのかもしれない。
 それに、モートンにはこの移動要塞よりも先に攻略すべき場所があった。



 「やはり、モートンが次に狙うのはL4か」
 呟くように言ったコウイチが見やる画面の向こうには《ヒュペリオン》のイザークとアラン・メイデス艦長がいる。
 距離がある上周波数の低い電波を選んでの通信のため、画質はあまり鮮明ではない。
 それでも相手の顔色が酷く優れないのは見て取れた。
 『本当に我々を受け入れて下さるのですか?本国に知れたら…』
 「それは評議会議員だった私も同じだよ。それにここにはクライン派の息のかかった者が多いからね」
 『…』
 イザークとメイデス艦長が顔を見合わせている。
 こちらの立場を気遣うようなことを言っていたが、その実はコウイチが信頼に足る人物か見極めようとしているのだろう。
 無理もない、クライン派に近い軍部隊だという理由だけで反逆の汚名を着せられているのだ。

 「L4のディーゼル隊長にも呼びかけるつもりだ」
 『本国に反旗を翻すと?』
 「まさか、そこまで無謀ではないよ」
 『…』
 《ゴンドワナ》の通常の役割は宇宙巡回隊の補給であり、それに必要な数の兵士しかいない。
 これが五年前のように連合と一触即発の状態で、万全を期した装備と兵力を有していたのなら、先日の『白夜』の襲撃の対応もあそこまでお粗末なことにはならなかったはずだ。
 これに二個小隊のジュール隊と五個中隊のディーゼル隊を加えたところで、数に勝るヤマト隊とモートン隊太刀打ちできるわけがない。
 だが。
 「だが、真実を知る君やディーゼル隊長というカードがあれば交渉くらいには持ち込むことができるかもしれない。
 本国の市民に呼びかける時の説得力も増す…どうだい?」
 『交渉、ですか』
 「モートンが『白夜』と名乗っていたテロリストと通じていた証拠も掴んでいる」
 『本当ですか!?』
 いささか逡巡しているようだったイザークとアランの表情が変わった。
 確かにそれが本当なら、向こうに譲歩させる有力な材料になる。
 『…分かりました。そちらに合流します』
 しばしの沈黙の後、イザークはそう応えた。
 ジュール隊にしてみれば、宇宙を当てもなく漂流するよりはコウイチの提案にかける方が現実的だと判断したのだろう。
 娘のミンシアが所属していることも大きかったかもしれない。
 
 モートンとバルフォアの指の先からこぼれ落ちた意思が、少しずつではあるが彼らの予測を超えた行動を取り始めていた。
 



 C.E.79 4月15日 0920時。 ヤマト隊旗艦《セラフィム》。

 リーゼがロッカールームに入ると、すでにパイロットスーツに着替え終えたタクトの姿があった。
 同じヤマト隊のクルー…つまり「同僚」になった二人だが、再会してからこれまでまともに会話などしていない。
 いつぞやナチュラルに対する嫌悪感をあからさまにしたからだろうか、タクトはリーゼなどいないものかのように振るまっている。
 今もリーゼが中に入ったのに気付いていないわけではないだろうに、一瞥をくれようともしなかった。 
 現在、ヤマト隊《セラフィム》とモートン隊《ジュピター》率いる十個中隊及び二十小隊という大部隊がL4へと向かっていた。
 ラクスと通じているという疑いをかけられているヤン・ディーゼル隊長を拘束するためだ。
 ただ拘束するにしては物々しい集団である…まるでディーゼルが抵抗し戦闘になることを想定しているかのようだ。
 本国メディアによると、「ディーゼル氏は評議会の召集に応じず、抵抗の構えを見せている」という。 
 アプリリウス・ワンと新たに創設されたアプリリウス・ツーを有するL4宙域は、最新鋭MSが数多く有され、
 クライン派の『ファクトリー』も一定の幅を利かせている。
 確かにディーゼル隊がこれを利用して抵抗すると仮定するのなら、この部隊は妥当なものなのかもしれない。
 いいや、妥当なのだ。
 リーゼは自分にそう言い聞かせるのに必死だった。
 それ以外は考えてもいけない、と。

 「おかしいですよね」

 突然。
 ぴんとした声が鼓膜に届き、リーゼはぎょっとした。
 「おかしいです」
 声の主はもちろんタクトだ。
 視線こそ動かしていないが、まるでリーゼの心を透かし見たかのような言葉に鼓動が早鐘を打つ。
 何だ、何を言っているんだ、こいつは。
 「ディーゼル隊長が抵抗するって決まったわけじゃないのに」
 「…」
 「MSと艦をそろえて、戦争しに行くみたいだ」
 「…」
 「モートン隊長は戦いを望んでいるみたいだ」
 「…」
 「おかしいです」
 淡々とした呟きに対し、リーゼは一言も返さない…否、返せなかった。
 タクトも応えなど望んでいないのか、ヘルメットを取り出してロッカーの扉を閉めると無表情のまま出口へ歩き出す。
 リーゼの後ろを通り過ぎ、エアドアの前に立った。
 しかし、彼はすぐには出て行こうとしない。
 「僕は、ディーゼル隊長と戦う理由がありません」
 「…命令、だ。それで、充分だろ」
 「それが貴方が戦う理由ですか?」
 「当たり前だ。僕は軍人だ」
 それだけ言うのがやっとだった。
 それで合っているはずだ、軍人に戦う理由など必要ない。
 「僕は」
 「…」
 「僕は、『祖国』のため、『大切な人』のために戦うのが軍人の役目だと思っていました」
 「何?」

 「軍に命令をする『上』の人たちがそれを見失っても、命令に従わなきゃいけないんでしょうか」
 
 


 C.E.79 4月15日 1310時。 ディーゼル隊旗艦《アトラス》。


 「召集も勧告も受けた覚えはないんですけどねぇ」
 繰り返し流されるニュースの映像を見ながら、何度も映し出される自分の顔写真にディーゼルは苦笑いをした。
 本国に連絡を取ろうとしたものの、政権がバルフォア率いる臨時政府に移ってからはまるで機能しない。
 間違いなく意図的に拒否されているのだ。
 ラクス失脚によって、当事者のラクス・クラインだけならばともかく、
 クライン派、反クライン派関係なく最高評議会議員が姿を消した…臨時議長となったドミトリアス・バルフォア以外は。
 その時点で違和感は感じていた。
 そして先日のジュール隊の脱走騒ぎと、間を置かず自分自身に降りかかった覚えのない罪状。
 バルフォアと、おそらくはモートンによるクーデターという答えに行き着く。 
 「イザークは上手く逃げられたみたいですけど」
 脱走劇のライブ中継を思い浮かべながら呟く。
 部下たちに行方不明になったと騒がれていたが、状況や指名手配までされていることを考えると本国は抜け出したのだろう。
 相変わらず悪運が強いらしい。
 
 「隊長!!」
 「あれ、アーサー」
 ノックもなしに隊長室に飛び込んできた艦長のアーサー・トラインに、ディーゼルは特に気を悪くするわけでもなく笑いかけた。
 彼が慌てているのはいつものことだ。
 「何のんびりしてるんですか!?今の状況分かってます?」
 「分かってますよ。もしもの時のことは言っておいたでしょう」
 「そうではなく…!!」
 アーサーはつかつかとディーゼルのデスクへ歩み寄ると、ばんっ、と手のひらを叩き付けた。
 「我々を見捨てるんですか!?」
 ちらりと視線を上向ければ、アーサーのグレーの瞳が真っ直ぐこちらを見据えていた。
 ああ怒っているな、とぼんやり思う。
 「見捨てるなんて人聞きが悪いですね」
 「なら、どうしてっ」
 「決意を促すためかな」
 「決意?」
 首をかしげたアーサーに、だって、と畳み掛ける。
 「臨時政権が歪んだものだと分かっていても、現状では戦うべきかどうかまでは判断できないでしょう?」
 「隊長は武器を取って戦うべきだと思っていらっしゃるんですか?」
 「だから、それをこれから確かめるんですよ。せっかく容疑者に仕立ててもらったことですし」
 「…」
 「アーサー、邪魔となるものを綺麗に排除して上に立ったところで、結局それは歪みを生み続け、さらにそこから生じた新たな邪魔ものを際限なく排除しなきゃいけないんですよ」

 パトリック・ザラやラクス・クラインが良い例でしょう、と言えば、アーサーは少し視線を泳がせた。
 一見ザラ政権とクライン政権は真逆のようではあるが、その成り立ちは似かよっているとディーゼルは思っている。
 「このままバルフォアが政権を握ることになっても、また同じことが続きます」
 「…」
 「何度もそれを繰り返せば、プラントは弱体化していく。そこを地球に突かれないとも限らない」
 「…」
 アーサーは黙したままディーゼルの顔を見続けている。
 何だかむず痒くなり、わざとへらりと笑った。
 「まあ、これから僕がすることは、愛国心ゆえだと思ってください」

 「それが死ぬ理由ですか?」

 「…」
 宥めていたつもりが、逆に火に油を注いだらしい。
 ディーゼルは作り笑いを止め、アーサーを顔をもう一度見上げた。
 「死ぬとは限らないじゃないですか」
 「嘘です。貴方は死ぬつもりでしょう」
 「何でそんなこと分かるんですか」
 「五年前、同じく死にたがりの上司を持ちましたので」
 《ミネルバ》の女艦長のことか。
 ディーゼルはアーサーのいつにない察しの良さと、怒りの理由を理解した。
 隊の全権をアーサーに移動し、自分は単独で「拘束」されにいく。
 しかしもし自分が「拘束」されることなく、乗ったシャトルに何かあれば、隊はL4から離脱せよ。 
 これがディーゼルがアーサーに下した命令だった。
 「敵を待つまでもありません。向こうが鼻っから攻撃してくることが分かっているのなら、すぐに逃げましょう!」
 「アーサー」
 「《ゴンドワナ》へ行きましょう。ジュール隊もそこへ向かっているはずです」
 コウイチ・アボットからの誘いはすでにディーゼル隊にも届いていた。
 死んだら何もかも終わりだ。
 むざむざと同志を死地に追いやることを見過ごしたくない。
 アーサーはそう訴えている。

 それはディーゼルにも分かっていた。





 タクトは予定の時間より一時間も早く格納庫へ入ると、新たに与えられた機体《ディシジョン》のコクピットへと入る。
 すでに調整とシュミレーション、《オプティマス》の起動手順を覚えることは昨日の段階で終わらせていた。
 機体の最終調整を神経質にやっているように見せかけ、タクトはずっと外の様子を伺っている。
 すぐ隣のハンガーにはキラ・ヤマトの《ストライクフリーダム》、そしてさらにその向こうには《ディシジョン》と同じ新機体の一つ、《コンヴィクション》…ほのかの機体がある。
 時間になれば、パイロットのほのかは《ディシジョン》の前を通るはずだ。
 タクトはそれを狙っていた。

 C.E.79 4月15日 1550時。 L4宙域に到達する予定時刻の10分前。

 《ディシジョン》のコクピットハッチに、突然にゅうっ、と人影が現れた。
 緊張していた上の不意打ちに、タクトは悲鳴を上げかけてとっさに口を手で押さえる。
 「タクト」
 「なっ、ヴィーノ」
 「悪い、驚かせた?」
 「心臓止まるかと思ったよ…もうコンディション・イエローだよ。こんなところにいて大丈夫?」
 「へーき、へーき。監視カメラにちょっとイタズラしといたから、ここは映らないよ」
 「…」
 この人はスパイや空き巣に職替えした方がいいんじゃないだろうかと思ったが、口には出さないでおく。
 彼がこれまでタクトにしてきてくれたことは感謝の言葉をどれだけ重ねても足りない。
 そしておそらくはこれからも。
 「ほのかはもうすぐここを通るけど…駄目だったよ。あの双子ががっちりガードしてるから」
 ほら、と格納庫の入り口を指差される。
 整備士たちを押しのけながら、ある一団が中に入ってきた。
 ちょうど真ん中にいるのはほのかだ。
 一番体が小さいが、あの特徴的な水色の髪ですぐに分かる。
 その両脇にはサスケ、スズネ兄妹がぴったりと張り付き、さらに前後には銃を構えた兵士がいる。
 サスケとスズネがちらちらと《ディシジョン》の方を伺っているのを見ると、やはりタクトと接触させまいとしているのだろう。
 「ちくしょう、あいつら」
 「仕方ない。今回は諦めよう」
 「でも」
 「必ず隙はできる。俺はまだマークされてないしね」
 ヴィーノはわざと明るい声で言ったが、タクトの表情は曇った。
 《ヒュペリオン》に乗っていたはずのほのかがどうしてこの《セラフィム》のパイロットになってしまったのか、
 ジュール隊がどんな理由で本国を終われる羽目になったのか、
 ラクス失脚に絡むクーデターの真相はヴィーノから聞き及んでいる。 
 そして。
 自分がこれから何をすべきなのかも決意していた。



 C.E.79 4月15日 1955時。 移動要塞《ゴンドワナ》。


 《ヒュペリオン》は無事に《ゴンドワナ》へ到着していた。

 「まさかこんな所で君と会うとは思わなかったよ」
 「お見苦しい格好で申し訳ありません」
 「かまわない。事情は聞いている…大変だったな」
 未だ《ヒュペリオン》の医務室での安静を余儀なくされているイザークを、コウイチ・アボットが尋ねていた。
 アラン、シン、ルナマリアも控えている。
 「かつてクライン派の圧倒的な力に屈したように、今回もバルフォアに従うしかないのかもしれない」
 弱気とも取れるコウイチの言葉にしかし、イザークたちは噛み付くようなことはしなかった。
 つい五年前、デュランダル政権が《フリーダム》《ジャスティス》を有するクライン派の力に屈服したことは記憶に新しい。
 そのままクライン派はプラントの政権を掌握し、先日まで権勢を振るっていたのだ。
 イザークやアランはその流れに逆らうことはできず、最後まで抵抗したシンやルナマリアに至っては手酷く叩きのめされた。
 その経験がある以上、圧倒的な流れにあえて乗るという選択肢は致し方のないことなのかもしれない。
 実際、今のところのクーデターでは民間に唯一人の犠牲は出ていない。
 ここで自分たちが声高に正義を叫んだところで、一番重要な市民の支持が得られるかどうかは怪しいものだ。 
 傷を負うだけの争いを避け、ラクスたちのように「排除」されずにバルフォアに準じる方法を模索するのが妥当なのだろう。
 そのためには向こうの弱み…譲歩させるだけのカードが必要となる。

 「我々にそれだけの価値があると?」
 コウイチや《ゴンドワナ》のクルーたちがジュール隊を呼び寄せたのは、バルフォアたちに譲歩を迫るに必要な存在だと判断したからだ。
 だが何故?
 「ジュール隊はテロリスト『白夜』と最も多く接触し、あまつさえ元メンバーの少女を艦に乗せていたと聞いた」
 「!」
 コウイチの言葉に、その場にいた全員が顔色を変えた。
 「ほのかのことですか?」
 「そういう名前らしいな」
 「どうして彼女のことを?」
 ほのかのことは、限られた者しか知らないはずだ。
 隊員にはほのかがナチュラルだということさえ知らない者も多かった。
 彼女が『白夜』のメンバーだったことを知っていたのはイザークとアラン、そしてリーゼを通して例の誘拐を企てたモートン一味くらいのはず。
 元最高評議会議員とはいえ、あの事件の直前に本国を出ていたコウイチが彼女のことを知りようもない。
 するとコウイチは、同席していた兵に目配せをした。
 兵士は頷き、廊下へ出るとすぐに何者かを連れて戻ってくる。
 それはザフトのものとは異なる制服をまとった金髪の青年のようだった。
 ようだった、というのはその者の顔半分がバイザーのようなもので隠れており、はっきりとは判別できなかったからだ。
 イザークとアランはその奇異な人物に眉根を寄せるが、シンとルナマリアは「あ!」と大きな声を上げた。
 「レイ!」
 男を見るなりそう叫んだシンとルナマリアに、他の者たちは目を丸くした。
 知り合いだったのだろうか。
 だが、表情こそ分からないがバイザーの男の方も戸惑っているように見える。
 「レイ?」
 「あ、違う。レイっぽい…人?」
 「…はい?」
 なんだそりゃ。
 訳が分からずイザークたちは遠い目をするが、シンたちは結構真面目らしい。
 「この《ゴンドワナ》で会ったんです」
 「テロリストで、俺の脚を撃って、でもレイの声でっ」
 「ちょ、ちょっと待て!」
 「おい二人とも、もう分かったら少し…」
 「だからレイじゃないかなって、でもレイじゃないし」
 「レイはもういないから…だけど!」
 「やっぱりレイが…」
 「〜〜〜ッッ、いい加減にしろぉ!!」
 「隊長も落ち着いて下さい、傷が開きます!」
 このバイザーの若者がジェットという名の『白夜』元メンバーだと知らされるのは、興奮したシンとルナマリアが部屋から締め出された後のことだった。
 コウイチが言っていた、テロリストとモートンたちが繋がっていたという証拠、というのは投降した彼のことだったのだ。



 C.E.79 4月15日 1600時。 L4宙域。


 「じゃあ、いってきます」
 相変わらずの笑顔でそう言った上司に、アーサーはやや強張った顔で頷いた。
 シャトルに乗り込もうとするディーゼルに同行する兵士は僅かに二人。
 ディーゼルは一人でいいと言ったのだが、彼らは頑なに同行するといって聞かなかった。
 二人の兵士も気付いているのだろう…上司がどんな決意をしているのか。
 その上で意地でも付いていくという部下がいる辺り、ディーゼルがどれだけ尊敬されているのか分かる。
 「トライン艦長」
 「…」
 名前を呼ばれ、アーサーはいつの間にか伏せていた視線をディーゼルへと戻した。
 「今までありがとう。後のことは頼みます」
 五年前、似たような言葉で別れを告げて、帰ってこなかった上司がいた。
 その面影を追いながら、やはり見送るしかないアーサーは唇を噛み締める。
 叫びだしたいのをこらえて、出発するシャトルを敬礼で送り出した。


 
 「隊長、一機のシャトルがこちらへ向かっています」

 オペレーターの報告に、スチュアート・モートンはぴくりと片眉を動かした。
 「シャトルだと?ディーゼル隊のものか?」
 「そのようですが」
 問われたオペレーターは曖昧な返事をする。
 それもそのはずだ。
 ザフトが使用するシャトルというだけでは、どの隊のものであるのか簡単に判断できるはずがない。
 「本当に一機だけか?」
 「はい。呼びかけてみますか?」
 モートンは思案する素振りを見せた。
 大方ディーゼルが細工した交渉人でも乗っているのだろう。
 あちらからの通信を一方的に拒否していたように、ミサイル一発で打ち落とすのは容易いことだ。
 だが。
 ここまで追い詰められたヤン・ディーゼルという男が、どんな悪あがきをしてくるのかという興味があった。
 「いいだろう」
 モートンは笑みを隠すようにして、低い声で了承する。

 この通信が後々どんな影響を及ぼすのか、今は知る由もなかった。



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2010/01/01