PHASE-29「ブルーアッシュの戦い -漆黒爆雷と攻撃自由-




 C.E.79 5月6日 1200時(戦闘開始から73分)。


 「艦長、《アトラス》より報告あり。ヤマト隊本体が動き出しました!」

 オペレーターの報告に、《ヒュペリオン》ブリッジに緊張が走った。
 「規模と軌道を確認しろ!」
 「別働隊があるかもしれないわ。見逃さないで」
 「了解しました」
 一気に慌ただしさを増すブリッジの中で、ルナマリアはちらりと《デプスチャージ》の姿を確認する。
 戦闘開始直後にタクトの《ディシジョン》とイザークの《シルバーボルト》、ミンシアの《ゼロフォー》が発進し、20分ほど前には《ゴンドワナ》に向かったと思われる敵機をユーリの《ゼロツー》とエディの《ゼロファイブ》が追いかけている。
 現在《ヒュペリオン》と共にあるのはシンの《デプスチャージ》しかない。
 正直ルナマリアはシンを戦場に出すことにまだ迷いを感じていた。
 今回の「敵」の中には、五年前に彼の心を完膚なきまでに叩きのめした《フリーダム》のキラ・ヤマトがいるのだ。
 イザークやアランに止められると分かっていても、
 このままブリッジを飛び出して《ルージュウルフ》に乗り込もうかなんて馬鹿なことを頭の隅で考えてしまう。
 それくらい、《フリーダム》の恐怖はシンの心の奥底にこびり付いているのだから。 
 どうか…どうか《フリーダム》だけはここに来ないで。
 立ち直りかけている彼の心を、また壊してしまわないで。
 「艦長、敵のMSが数機、こちらに接近しつつあります」
 「迎撃体制に入れ!」
 ルナマリアも意味のなさない思考を止め、己の仕事に専念しようとする。
 「アンチビーム爆雷発射準備。敵の詳しい数と位置を特定しろ」
 「《タンホイザー》は!?」
 「95パーセントです。発射できます」
 「威嚇に撃ちますか?敵が固まっているのなら当たるかも」
 ルナマリアの提案に、アランは慎重だった。
 「ならもう少し引き付けてからだ。それに、もし近づいているのが『あの機体』だったら…」 
 あの機体。
 ぞくり、と。
 ルナマリアの背中が泡立った。
 それに呼応するかのように、機体の照合をしていたオペレーターが悲鳴に近い声をあげる。
 「艦長!!」
 「何だ?」
 「敵機、照合、フ、《フリーダム》ですッッ」
 
 「フリーダム?」
 ブリッジからの通信から拾った単語を、《デプスチャージ》のシンは思わず反芻していた。
 そのまま視線をカメラに移せば、近づいてくる白い機体。
 己こそが正義の鉄槌を下す天使だとでも主張するように、背中には羽根を模った武器。 
 《ストライクフリーダム》!
 ひっ、と。
 喉の奥で悲鳴が漏れた。
 口の中が一瞬で干上がり、がくがくと体が震えている。
 最初シンは、どうして自分が震えているのか分からなかった。
 長い間心の奥底に閉じ込め、忘れていたからだ。
 恐怖という感情を。
 「あ…あ」
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 あの白い機体は自分の大事なものを奪っていく。
 シンの信じたものを全て否定して、何もかも踏み荒らしていく。
 全部めちゃくちゃにされてしまう!

 ―――怖いッッ。
 ―――ルナ、助けて!

 シンはいつものようにルナマリアに助けを呼ぼうとしたが、それは声にならなかった。
 《フリーダム》の姿はどんどん近づいている。
 なのにシンは指一本動かすどころか瞬きすら出来なかった。
 早鐘を打つ己の心臓に、さらに追い詰められていく。
 逃げなきゃ。
 壊されてしまう前に。
 でも体が動かない。
 いつも傍で守ってくれたルナマリアも今はいない。
 自分は独りだ。
 たった独り。
 「シン、逃げて!!」
 突然響いた声に、びくりと体が跳ね上がった。
 「…、はッッ」
 思い出したように肺に息を送り込む。
 ぼやけかけていた視界が一気に明瞭になり、シンは己だけでなく周囲の状況を把握した。
 すでに射程距離内に、《ストライクフリーダム》が迫っていた。
 その後ろには《リゲル》が五機。
 ライフルを構え、すでにこちらに発砲している。
 それに応戦する《ヒュペリオン》。
 「ル、ナ」
 そうだ、あれにはルナマリアが乗っている。
 さっき逃げろと言ったのは彼女の声だ。
 逃げろ?
 何故?
 自分は《ヒュペリオン》を守るために《デプスチャージ》に乗っているのに。
 「まもる?」
 それが今のシンの仕事だ…でも。
 守れるのか、自分が?
 恐怖で今でも震えが止まらないのに。
 あの日、守ると誓ったステラを死なせてしまったのに。
 これまでずっと、ルナマリアに守ってもらっていたのに。
 この五年間、耳と目を塞いで檻に閉じこもっていた自分が、守る?
 ぐるぐると意味の成さない問いを廻らせていたシンは、《フリーダム》の動きの変化に我に返った。
 ガシュッ!
 《フリーダム》の背中から、折りたたまれていた二つの翼が切り離される。
 今やキラ・ヤマトしか扱うことができない《ドラグーン》…それが明らかに《ヒュペリオン》を狙っていた。
 「だ、めだ」
 シンは《デプスチャージ》を動かそうとする。
 だが、腕の震えが止まらなくて思うようにいかない。
 動け、動け!
 《ドラグーン》のビットが展開され、その砲口が《ヒュペリオン》へと向けられた。
 「だめだっ」
 あそこにはルナマリアがいる。
 大切な人が。
 また失うのか?
 あの高慢な、正義を高らかに語るあの男に奪わせるのか?
 させないっっ!
 「させるもんかーーー!!」 

 
 「なんだよ」
 その光景に、キラは気分を害した。
 《フリーダム》という機体を手に入れて以来、ほぼ全ての敵は数秒の間に戦闘不能になった。
 キラはその爽快感が好きだった。
 だからこそ、それを邪魔するものに対しては無意識に顔を歪めてしまう。
 今目の前にいる漆黒の機体がまさにその邪魔者だった。
 キラが《ヒュペリオン》を撃墜するために放った二対のドラグーンを、ビームサーベルとライフルで破壊してしまったのだ。
 明らかにエースパイロットだと分かる、鮮やかな手際だ。
 「こいつ」
 嫌だな、と思った。
 動きがいい、キレがある。
 戦いが長引きそうだとすぐに悟った。
 
 

 「はあ、はあっ」
 シンは荒い呼吸を繰り返していた。 
 ―――動けた。
 もう指一本動かすことも叶わないと思っていたのに。
 《ヒュペリオン》が堕ちると思った瞬間、突き上げるような力が己を支配した。
 二つのドラグーンを破壊する自分が酷く客観的に感じられたような気がする。
 戦える?
 まだ、守れる?
 「《フリーダム》…キラ・ヤマト」
 五年前の、世界の英雄。
 全てに支持され、全てに祝福され、シンから命とルナマリア以外の何もかもを搾取した男。 
 ステラ。
 《ストライクフリーダム》が、こちらに向き直った。
 《ヒュペリオン》より先に、《デプスチャージ》へと狙いを定めたのだ。
 シンもその時までには心を決めた。 
 正直、勝てるとは思えない。
 それでも逃げるわけにはいかなかった。
 五年もの間、自分は逃げ回り守られてきたのだ。
 戦う。
 あの憐れな少女のように、命を散らすことになったとしても。


 
 C.E.79 5月6日 1203時(戦闘開始から76分)。


 ガシュ、ガシュッ。
 ドウッッ!
 《デプスチャージ》は遠距離型の機体の援護を想定した特攻型だ。
 ゆえに装備している火器は両肩のミサイルポッド、腰部のレールガン、そして専用ライフルのみと少ない。
 対峙している《ストライクフリーダム》と比べると、一対二から三ほどの大きな開きがある。
 だがシンは、適わないと分かっていて《デプスチャージ》の全ての火器を相手に向けた。
 「くらえっ!」
 「くっ」
 《フリーダム》はビームシールドをかざすが、実弾ミサイルまでは防げない。
 むやみに動くことを嫌うキラは、ドラグーンビットでミサイルを撃ち落す選択を選んだ。
 ばしゅっ。 
 背中のドラグーンが全て切り離され、《フリーダム》と《デプスチャージ》との間を遮るように網状のビームの盾を模った。
 十以上のミサイルがビームの網に絡まり、激しい爆発を次々に起こす。
 一瞬互いの視界が遮られるが、キラは敵機の位置を感覚で捉えていた。
 「当たれぇぇーー!」
 防御だけではなく、同時に二つのビットを攻撃に回す。
 上手く当たれば、これで面倒な敵が消えてくれる。 
 ドドドドドッッ!!!
 「!!?」
 キラは目を剥いた。
 期待していたよりも、ずっと派手な爆発。
 だが、それは憎たらしい黒い機体が被弾したものではなかった。
 「ぼ、僕のドラグーンが!」
 防御に利用したもの、攻撃に回したもの。
 先の二つも含め、持てるドラグーンの全てが爆散していた。
 「嘘だ、こんな!」
 にわかには信じられずレーダーを確認するが、やはり全てロストしている。
 《デプスチャージ》に叩き潰されたのだ。
 「こいつ、最初から武器破壊を!」
 ドラグーンという、ある意味《フリーダム》の存在を特殊にしている武器を無効化するつもりだったのか。
 だから効果が期待できない遠距離での火器攻撃を派手に行った。
 キラの思考、攻撃パターンをある程度把握している。
 その上いくらドラグーンを意識的に射出させたといっても、たった数秒の間に全てを破壊するほどの腕前。
 「君は、まさか」 
 脳裏に赤い瞳が過ぎる。
 キラにとって、死んだも同然の存在。
 五年前デュランダルに組して自分たちに刃向かった、愚かで憐れな少年。
 「どうして」
 黒い機体《デプスチャージ》がリニアガンを撃ちながら急接近する。
 やや弧を描くような独特の動きに、キラは疑いを確信に変えた。
 同時に苛立ちがピークに達する。

 「どうして君みたいな奴が、ここにいるんだ!!!」 

 ドウッ!!!
 《フリーダム》の腹部の《ツォーン》が火を噴いた。
 接近していた《デプスチャージ》は速度をそのままに、機体とビームの軌道を見切ってかわす。
 「はっ」
 ここまでは何とか冷静を保っていられていた。
 だがシンは、ちょっとしたきっかけで己がパニック状態に陥ってしまうことを自覚している。
 その前に、せめてこいつ《フリーダム》を《ヒュペリオン》から遠ざけなければ。
 と、その時。
 「!!」
 《フリーダム》が眼前にいた。 
 ―――いつの間に!?
 シンは漏れそうになった悲鳴を飲み込む。
 相手のアームにはビームサーベル。
 すでにそれは振り上げられていた。
 近過ぎる!
 よけられない、シールドも間に合わない。
 「もう君の出る幕なんか!!」
 「ーーーーーーーっっ!」 
 じじじ、ぃんっ。
 金属と金属が擦り合わさったような、不快な音がした。
 「このっ!」
 「ぐうっ」
 シンはとっさに、敵の腕を掴むことでサーベルの軌道を止めていた。
 ジジジジ…ジジッ。
 それでも勢いは止めきれず、サーベルのビーム粒子が《デプスチャージ》の左肩を焼く。
 キラはそのまま《ツォーン》を撃とうとしたが、シンの攻撃の方が早かった。
 「あああああ!!!」
 「うぅ!?」
 ぐいっ、と掴んでいた《フリーダム》の腕を引き寄せ、さらに両機の距離が縮まる。
 キラが体勢を立て直そうとする前に。
 ばしゅっ。
 《デプスチャージ》の左アームのビームカッターが斜めに走った。
 ばちっ、ばちばちっ!
 「ぎゃあっ」
 コクピットに激しい衝撃と耳障りな音が響き、キラは思わず悲鳴を上げる。
 掴まれていた腕が離れたことで、さらに攻撃を加えようとする《デプスチャージ》からようやく距離を置いた。
 「ちぃ」
 嫌な汗が背中に流れる。
 コクピットこそ無事だったが、《フリーダム》の腹部から右肩にかけて大きく斜めに傷ができていた。
 動きに影響が出るほど深いわけではなかったが、浅いと言い切るには無残過ぎる。
 「お、おまえ」
 キラは震えた。
 長いこと忘れていた感覚だった。
 「お前、お前が」
 五年前もそうだ。
 機体は違うがやはり同じ「彼」が、自分を死の淵に追いやろうとした。
 身の程も知らないで!

 「お前なんかがーーー!!!」



 《ヒュペリオン》は《フリーダム》が引き連れていた《リゲル》と交戦していた。
 五機のうち、一機は撃墜、二機は被弾させて撤退に追い込むことができたが、残り二機はなかなか隙を見せない。
 射程距離ぎりぎりの辺りをまとわりついている。
 主砲の無駄撃ちはできず、副砲だけで対応する状態が十分近く続いていた。
 「くそ、遠くからこちらの隙をうかがうばかりか」
 「ヤマト隊の腰抜けめ」
 「無駄口を叩くな!二機全ての動きを把握しているんだろうな?」
 苛立ちのあまり注意力が散漫になっているクルーたちをアランが叱咤する。
 「《ナイトハルト》一番から六番、標準!」
 ルナマリアも、今は艦のことに専念する。
 先程、《フリーダム》を前にしたシンに思わず「逃げて」と口にしてしまったことを彼女は悔いていた。
 シンは弱くなかった。
 恐怖を振り払い、この艦を守るために戦っている。
 彼の勇気に応える為にも、全力で《ヒュペリオン》を守らなくては。
 「撃ーーーーー!!」
 ピッチ角を僅かずつずらされた《ナイトハルト》が二機の《リゲル》へと向かう。
 攻撃のたびに角度を変えているのだが、やはり期待した手ごたえはなかった。
 「七番、ビッチ角20!」
 「は、はいっ!」
 攻撃が終わるか終わらないかのうちに、ルナマリアが新たな指示を出す。
 砲手は慌てた声を出していたが、言われた通りの入力を行った。
 「撃ーーーッッ!」
 ほぼ同時に、最初の攻撃を縫うようにして一機の《リゲル》が飛び出す。
 オペレーターの女性兵士があっ、と声を上げるが、その特攻も一瞬だった。
 最後にルナマリアが指示した砲弾が、《リゲル》の正面を捉えていたからだ。
 それに気付いた《リゲル》が動きを止め、そして。

 ドウッ、ン!!

 「あ、当たった!」
 「やったぁ!」
 《リゲル》のパイロットはとっさに反応できなかったようで、砲弾は脚部を焼き切っていた。
 「すごい、副リーダー!」
 「ルナマリアお姉さま、ステキッ」
 「ど、どんなもんですかぁ!」
 五年前、伊達に被撃墜王(命名レイ・ザ・バレル)と呼ばれていたわけではない。
 自分が《リゲル》だったら通るだろう軌道に向けて発射させたらドンぴしゃりだったのだ。
 ルナマリアとしては牽制になれば充分だったのだが、上手く相手が当たってくれたので内心驚いていた。
 無論顔には出さなかったが。
 被弾した機体はもちろん、もう一機の《リゲル》も怖気づいたようで、揃って撤退していく。
 とりあえずの危機を乗り切り、クルーは安堵の息を吐いた。
 「気を抜くな!戻っていない機体のシグナルの確認、急げ」
 「了解」
 ブリッジの空気を引き締める艦長を横目に、ルナマリアは《デプスチャージ》の機影を探す。
 シグナルは…消えていない。
 しかも艦からさほどの距離がなかった。
 位置を確認し、ルナマリアはその方向を映すカメラを見やる。
 「シ…」 
 かっ!
 振り向くと同時に。
 ブリッジを照らすほどの光が、白く凝った。
 「シン?」



 「一度僕に負けてるくせに!」
 《フリーダム》が砲口を全てこちらに向けている。
 フルバーストの威圧に、さすがのシンもぎょっとした。
 「アスランにも適わなかったくせに!!」
 ドウッ、ドドドドドドドッ!!!
 「く…こ、こんなっ」
 《デプスチャージ》はシールドを構えるが、全ての砲弾を受け止めきれるわけがない。
 ここまで詰めていた距離を手放しながら、とにかく《ツォーン》だけはまともに食らうまいとシンは機体を操作した。
 ガガッ!
 ドォ、ンッッ。
 よけ切れなかったレール砲がシールドを介し、容赦ない衝撃となって体を突き抜ける。
 気を失わないように、シンは奥歯を食いしばった。
 ドドドドォ!
 「ぐうっ!」
 一際激しい揺れがコクピットを襲い、シンの集中力が一瞬途絶えた。
 そして。
 ビービーッッ!
 「し、しまった」
 敵機の急接近。
 視覚で確認せずとも、《フリーダム》だということは分かり切っている。
 どこに!?
 「上!!」
 アイカメラに捉えた白い機体は、すでに腰部のリニアキャノンを展開していた。
 「デュランダルの幻影がぁッッ!」
 「!」
 シンは慌ててシールドを構え直す。
 だが防御が間に合ったかどうか把握する前に。
 がつんっ。
 一際重い衝撃が垂直に駆け抜け、次いで目の前が暗くなった。
 


 ―――シン!
 ―――シン…!

 ステラは瞳を瞬いた。
 声が聞こえる。
 苦しそうな、女の人の声だ。
 ―――シン!
 知っている名前。
 彼の優しい赤い瞳を思い浮かべて、ステラは思わず微笑んでいた。
 大好きな人の名前だ。
 自分を誰よりも大切にしてくれた人。
 「守る」と言ってくれた人。
 スティングやアウルと同じくらい大好きな人。
 ステラは声が向かう方向へと、手を伸ばしていた。
 女の人の声があまりにつらそうで、聞かないふりが出来なかったのだ。
 ふと指にぬくもりを感じれば、同時に視界が開ける。
 見たことのない、狭いコクピット。
 果たしてシンはそこにいた。
 気を失っているのか目を瞑り、ぐったりとシートに身を沈めている。
 バイザーから覗く顔に血糊が付いているのが見えて、ステラはびっくりした。
 死んだら大変だ。
 死ぬのは駄目だから。
 シン?と呼びかけてみる。
 僅かに彼の瞼が動いた…生きている。
 ―――シンッッ!
 また女の人の声。
 シン、誰かがシンのこと呼んでるよ?
 ステラは今度は彼の耳元で、大きな声を出して呼びかけた。
 シン!
 
 「ステ…ラ?」

 かさかさに乾いた唇から、言葉が漏れ落ちた。
 ステラが知っているより、少しだけトーンが低くなっている。
 けれどゆっくりと開かれた瞳の茜色の美しさだけは昔のままだった。
 「ステラ?」
 うん、ステラだよ。
 遭いにきたの。
 にっこり微笑めば、シンも笑い返してくれた。
 「迎えに来てくれたの?」
 違うよ。
 思いがけないことを言われてステラはびっくりする。
 しばらく彼の言葉の意味を考えて、そして理解すると口を尖らせた。
 死ぬは駄目でしょ。
 怒った口調で言えば、シンは叱られた子供のように首をすくめる。
 実際ステラは怒っていた。
 聞こえないの?
 聞こえないの、シン?
 あんなに必死になって呼んでいる人がいるのに。
 生きて、って言ってくれる人がいるのに。
 だんだん悲しくなった。
 明日を迎えることを諦めてしまうの?
 シンは大きな瞳をさらに大きく見開いて、そのまま辺りに耳をすませた。
 ―――シン!
 「…ルナ」
 るな、っていうんだね、その人。
 優しい人だね。
 シンのこと、一生懸命好きなんだよ。
 シンも大好きなんでしょう。
 「…」
 彼は無言のままだったが、首を縦に振ることで肯定を示した。
 だったら戻らなきゃ。
 ねえ?

 「…ありがとう、ステラ」



 
 …めて、やめてッ!
 やめて、キラッ!!
 
 フレイは必死になってキラに呼びかけた。
 両手を大きく広げ、キラからコクピットのウィンドウを遮るようにする。
 駄目よ。
 お願い、止まって。
 これ以上戦わないで。

 けれど《フリーダム》の加速は止まらなかった。
 ビームサーベルを構え、動けないでいる《デプスチャージ》に向けてその切っ先を突き刺そうとしている。
 キラの瞳に自分の姿は映っていなかった。
 ただひたすら、目の前の敵の息の根を止めることに専念している。
 キラ。
 フレイはぽろぽろと涙を零した。
 どうして彼はまだ戦っているのだろう。
 これほどまでに殺し続けているのだろう。
 誰かをこれほどまでに憎める人ではなかった。
 やっとあの泥沼のような戦争が終わって。
 彼はあの女神のように大らかな少女と二人、静かで幸せな人生を送るはずだった。
 一体何を間違ってしまったの?
 …いいや、考えるまでもない。
 私のせいだ。
 キラに戦えって言ったから。
 敵を全部やっつけてって言ったから。
 彼が優し過ぎるのを分かっていて、その上で戦場に送り出したから。
 だから彼はこんなに追い詰められてしまった。
 ごめんね。
 ごめんね。

 「殺してやる!」
 そんなことしなくていいの。
 「僕に逆らう奴は、全部」
 もういいのよ。
 そっちに言っては駄目。
 「敵は、全部殺すんだ」
 ごめんね、キラ。
 本当にごめんね。
 あなたを守る、って言ったのに。
 なのに私はあなたを止められない。
 それどころか声すら届かない。
 守るって言ったのに。
 「…フレイ、敵は全部殺すからね」

 あなたは今、絶望に向かっているというのに。
 
 


 「ッッ!」

 頭に差すような痛みが走る。
 見開いたシンの真紅の瞳に、迫る白い機体が映った。
 ―――《フリーダム》。
 気を失っていたのはほんの数秒ほどだったのか、あるいは瞬きするほどの間だけだったのかもしれない。
 シンの視界に移る景色は全体を見渡せるほど広く、クリアだった。
 動きは《フリーダム》のものも含め全てスローモーションのように見えるが、相手もまたそれは同じだということをシンは知っている。
 《フリーダム》はもうさほど離れていない距離まで近づいていた。
 サーベルの切っ先を、迷うことなくこの《デプスチャージ》のコクピットへと向けている。
 ―――よけ切れない、か。
 なら諦めるか?
 いいや、それはできない。
 待ってくれている人がいるのだから。
 

 「あああああっっ!」
 キラの頭は沸騰していた。
 出撃した時の冷静さは消え去り、目の前の《デプスチャージ》を排除することしか頭にない。
 殺してやる。
 殺してやる!
 先の攻撃でかなりのダメージを受けたらしい《デプスチャージ》は無防備を晒している。
 ビームサーベルの切っ先を突き出す。
 突き殺してやる。
 今度こそ、跡形もなく消してやる! 
 その時。
  かくん、と。
 《デプスチャージ》の上腕部から上が下へと傾いた。
 「!?」
 全てをスローモーションで捉えるキラの抜群の視界はそれを捉えていたが、
 加速している《フリーダム》の動きを急に変えるのは不可能だった。
 だがそれは相手も同じことだ。
 今更じたばたしたところでこちらの攻撃を避けることができるはずもない。
 だから。
 「これでぇ!!!」


 ぱんっ。


 何かが。
 弾けた。
 「?」
 最初キラは、自分の攻撃が《デプスチャージ》を捉えた衝撃だと思った。
 でも、おかしい。
 目の前が真っ暗だ。
 いやそれだけではない。
 何も聞こえないし何も感じない。
 どうして?

 ―――キラ。
 懐かしい声がする。
 ―――キラ、ごめんね。
 フレイ?
 ―――ごめんなさい。

 赤い髪が揺れる。
 青灰色の瞳を涙に濡らした少女の姿がはっきりと見えた。
 どうして泣いてるの、フレイ?
 僕は君が望んだとおり、敵は全部やっつけたよ。
 泣かなくていいんだよ。
 
 ―――あなたを守るって、言ったのに。

 「…あ」
 視界が一気に開けた。
 景色が完全に変わっている。
 コクピットの前面が綺麗に吹き飛び、アイカメラを映していたウィンドウやレーダーは跡形もなくなっていた。
 その代わりだと言わんばかりにキラの視界の大半を占めているのは、鉄製の板のようなもの。
 いやこれは、この形は見覚えがある。
 そんなことをぼんやりと考えながら目線を下ろす。
 「が…ぁ、う」
 何故?
 意識せず漏れた声は、言葉を成していなかった。
 それも無理なからぬことだろう。
 なぜなら。
 コクピットを突き破っただろうその鉄の板は、キラの腹にも容赦なくめり込んでいたからだ。
 鉄のそれは、《デプスチャージ》のコンバットナイフだった。
 おそらくは前の攻撃の時から隙を伺うつもりで手にしていたのだろう。
 状態が僅かに変化したあの時、《デプスチャージ》は《フリーダム》の攻撃をよけるのではなく、逆にブースターを全開にして前に突っ込んでいったのだ。
 《デプスチャージ》のコクピットを貫くはずだったビームサーベルは、すでに《フリーダム》の手から離れていた。
 果たして相手の息の根を止めることはできただろうか。
 だが、キラにそれを確認することは出来なかった。
 辺りにはキラの血や内蔵が飛び散り、無重力を彷徨っている。
 致命傷どころの話ではなかった。
 なのにキラはまだどこか他人事だった。
 自分が負けるはずはない。
 《フリーダム》と共にある自分が死ぬなんてことが。

 ―――キラ。

 また愛しい少女の声が聞こえた気がした。
 「…ぇい、フ、レイ…」
 そうだ。
 自分は彼女のために戦場に立ったのだ。
 敵が怖いと泣く彼女を守るために戦ったのだ。
 「フレイ…フレ、どこ?」
 彼女に会いに行こう。
 敵をたくさん倒してきた自分を、きっと彼女は笑顔で迎えてくれる。
 また景色が変わっていた。
 白い、白い世界。
 ああ、やっぱり自分が死ぬなんて嘘だったのだ。

 キラはそう信じて。
 愛する少女の幻影へと手を伸ばした。
 
 

 C.E.79 5月6日 1222時(戦闘開始から95分)。
 
 「医療班、何やってるんだ!!?」
 「そっちじゃない!!こっちだよ、早く!」
 《ヒュペリオン》の格納庫があっという間に騒がしくなっていた。
 《ゼロファイブ》に抱きかかえられるようにして降りたのは、慢心相違の《ゼロツー》と《デプスチャージ》だった。
 見た目派手に崩れていたのは《ゼロツー》だったために医療班はそちらに群がるが、パイロットのユーリはすでにコクピットから這い出て《デプスチャージ》のハッチに手をかけていた。
 「手伝え!早く引きずり出せ!」
 「ヘルメットを取るんだ」
 「生きてるのか!?」
 医療班より先に駆けつけたのは、戦闘開始からずっと格納庫に留まっていたジェットだった。
 ユーリ、エディと協力して、コクピットからぐったりした青年の体を引っ張り出す。
 「リーダー!」
 「リーダー、しっかり!」
 怪我らしい怪我がないユーリとエディに対し、《デプスチャージ》に乗っていたシンは意識がないようだった。
 看護士がヘルメットを脱がせた途端に血が飛び散り、その場にいた全員が青ざめる。
 すぐに医師が頭の傷を覗き込み、脈を取るなどして手当てに当たった。
 ざわついていた整備士たちも息を詰める。
 しばらくの間、格納庫は先程の喧騒が嘘のように静まり返った。
 悪魔のような時間が過ぎ去り、医師は息を付くとシンを担架に移すよう指示を出す。
 ちょうどその時、アランから許可を得たルナマリアが駆けつけた。
 「シン!」
 担架に固定されている途中だったシンに飛び付こうとして、けれどジェットに制された。
 「シン…シンが、シンは?」
 「命に別状はないそうだ」
 泡を吹くように喘いだ声を出すルナマリアに対し、ジェットはきっぱりとした口調で断言した。
 だがルナマリアはすぐにはその言葉を理解できず、揺れる瞳で医師に訴える。
 医師は頷き、ジェットの言葉を肯定した。
 「頭に怪我をして派手に血が出ているだけだ。脳震盪を起こしているが、すぐに意識は戻るだろう」
 「…」
 それでもまだルナマリアは状況を飲み込めず、意識のないシンへと視線を移す。
 その顔に血の気はなかったが、治療のために割かれたパイロットスーツから覗く胸は僅かに上下し、確かに呼吸をしていることを示していた。
 「…かっ、た」
 戻ってきてくれた。
 生きて、自分の元に。
 その場に崩れ落ちそうになるのをジェットとエディが支えてくれた。
 安心した途端、それまでの緊張と一緒に体が溶けてしまいそうだった。


 「本当に勝ったのか、あの《フリーダム》に?」
 医務室へと向かうルナマリアとそれに付き添うエディの後姿を見送りながら、ジェットはユーリに尋ねる。
 《デプスチャージ》が《ストライクフリーダム》と交戦状態に入った、という情報までは届いていた。
 正直、それを聞いたときはシンの生還は絶望的だと思ったのだが。
 「ああ。俺も信じられないよ」
 確かにこの目で見たのにな。
 そう呟くユーリの頬は僅かに高潮しており、最初の問いかけへの肯定を示していた。
 「勝った、って言っても運の差みたいなもんだけどな」
 ビームサーベルを構え、《デプスチャージ》のコクピットを間違いなく捉えていた《フリーダム》。
 だがコクピットを貫かれたのは《フリーダム》の方だった。
 コンバットナイフを突き出し、《デプスチャージ》が前進したのはさほどの距離ではない。
 時間にすれば一秒にも満たない、コンマ何秒の世界だ。
 その間にシンは頭部を前に突き出し、コクピットへの距離を稼いだ。
 あえて敵のサーベルに、頭から串刺しにされにいったのだ。
 結果ビームサーベルへと垂直に分厚い鉄の岩盤を被せたような状態になり、相手の武器の威力は半減した。
 それでも推進剤を巻き込んでしまったら《デプスチャージ》も爆発し、相打ちだっただろう。
 実際《デプスチャージ》の頭部は焼き切れており、サーベルの切っ先は首の後ろから胸の方へと突き抜けていた。
 逆にバーニアを全開にしていた背中側に突き抜けていたら終わりだった。
 それでもパイロットを守りきった《デプスチャージ》は爆発の危険が高いということで、シンが引きずり出されると同時に宇宙へと放られている。
 確かにこれは、ユーリの言う通り、運が勝敗を分けたようだ。
 「《フリーダム》が堕ちたとなれば…有利になるかな?」
 ふと呟いたジェットの言葉に、ユーリは緩んだ頬を引き締めて神妙な顔をした。
 この報告はすぐに《ゴンドワナ》、さらには敵方にも伝わるだろう。
 五年前の大戦の英雄を葬った事実がこの状況を打破するか。
 あるいはさらに自分たちを追い詰めることになるのか。
 それはまだ分からなかった。




 C.E.79 5月6日 1158時(戦闘開始から71分)。


 「やっと見つけたわよ」
 「…」
 自分でも、ぞっとするほど冷静な声が出た。
 《ゼロフォー》のカメラに映るのは、紫の機体。
 自分たちを裏切り、追い詰め、ついには仲間の命を奪った奴。
 ミンシアの中の何かを、決定的に壊してしまった存在。

 「リーゼッ…この、裏切り者がぁ!!!」
 




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2010/01/16